そのランドマークを解説
スカラ・ド・ラ・ヴィル:エッサウィラの城壁を解説
モロッコのスルタンのためにフランスの軍事建築家が築いた18世紀の海壁。大砲は今もそのままに残り、やがてカンヌ受賞作のオーソン・ウェルズ映画や『ゲーム・オブ・スローンズ』のあるシーズンにも登場することになりました。
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| 詳細 | |
|---|---|
| 建造 | 1760年代、スルタン・モハメッド3世の治世下 |
| 建築家 | テオドール・コルニュ、フランスの軍事技師 |
| 概要 | 大砲が並ぶ海壁の砲台と遊歩道 |
| 映画史 | オーソン・ウェルズ『オセロ』(1951年)、『ゲーム・オブ・スローンズ』のアスタポア(シーズン3) |
| ユネスコ登録状況 | 2001年登録、エッサウィラのメディナの一部 |
ヨーロッパの技術者がモロッコのスルタンのために築いた要塞
エッサウィラは1764年、スルタン・モハメッド3世(シディ・モハメッド・ベン・アブダラー)によって創設されました。彼は、さらに南にある古い港に代わる新たな大西洋貿易港を望んだのです。設計と建設のために招かれたのが、ジブラルタルを拠点とするフランスの数学者にして軍事建築家、テオドール・コルニュでした。だからこそ、この町の城壁と碁盤目状の街路は、古いモロッコのメディナというよりも、サン・マロのようなフランスの要塞港に近い印象を与えます。ユネスコの登録理由にも、この成果は「18世紀後半の要塞都市が、その設計原則をほぼそのままの形で北アフリカ沿岸に移されたもの」と記されています。
実際に歩ける海側の城壁、スカラ・ド・ラ・ヴィル
スカラ・ド・ラ・ヴィルは町の北側の海防壁です。海壁の頂部に沿って延びる高台の砲座と遊歩道で、コルニュの当初の要塞化の一部として築かれ、今日も本物の18世紀の大砲が遊歩道沿いに据えられています。港とその背後の町を守るために造られたもので、砲座の間に広がる狭間のある区間からは、大西洋をまっすぐに見渡す遮るもののない眺望が得られます。だからこそ、多くの訪問者が真っ先に写真に収める場所なのです。
オーソン・ウェルズが撮影した城壁
1948年から1951年にかけて、オーソン・ウェルズは自費製作の『オセロ』をいくつもの国で断続的に撮影し、その中には当時モガドールと呼ばれていたエッサウィラでのシーンも含まれていました。完成した作品は1952年カンヌ国際映画祭でグランプリ(後にパルム・ドールと改称)を分かち合い、このモロッコの海岸線の一画は、再び現代のロケ地となるはるか以前から、映画史に確かな数十年の足跡を刻んでいるのです。
アスタポアを演じた城壁
スカラ・ド・ラ・ヴィルの城壁は、『ゲーム・オブ・スローンズ』の序盤シーズンでアスタポアとして使われました。デナーリス・ターガリエンが市壁沿いを歩くシーンはまさにこの区間で撮影され、本物の18世紀の砲架の真上に十字架の土台を建てるなどの美術装飾が施されました。多くの訪問者が、自分が城壁の上に立って初めて知る細部です。目の前の狭間は、製作陣が奴隷湾のために装飾したのと同じ石なのです。
なぜ大砲が今もそこにあるのか
多くの歴史的要塞が武器を取り外したり複製品に置き換えたりするのとは異なり、スカラ・ド・ラ・ヴィルの大砲は遊歩道沿いの本来の位置に据えられたままです。ユネスコの登録が保護するのは、復元ではなく、真に無傷の18世紀軍事建築の一部としてのこの姿なのです。今日この城壁を歩くことは、大西洋沿岸のこの一帯で、現役だった18世紀の沿岸要塞の内部に立つことに、多くの訪問者が最も近づける体験です。
このツアーでの訪問
城壁はこの日帰りツアーの自由時間枠の中にあり、通常バスがメディナの門付近でグループを降ろす場所から気軽に歩けます。城壁の開放区間を歩くのに別途のチケットや入場料は不要です。遊歩道そのものは端から端まで15分もあれば歩けますが、ほとんどの訪問者は歩くだけなら必要ないほどの時間を、眺望と写真のためにゆっくり過ごします。